Saturday, July 24, 2004

つれづれ つうらつら ”イギリス人” 

 さっきRadioheadの歌詞をWebで見てみた。
中学生頃からだから、かれこれ下手すると10年近く(か!)彼らの曲を聴いている。でも、不思議な事に今まで彼らの書く歌詞を見てみた事がなかった。ふとしたきっかけで歌詞を見てみると・・・む、むずかしい。英語はそんなにむずかしくない。どうして短い歌詞なのにそんな物語ができあがるのか?言葉の構成が突飛で、イメージしにくいし、その突飛さは、明らかに僕とは全く違うバックグラウンドがあることを感じさせた。そして、その独特な雰囲気はもう国に帰ってしまったイギリス人の友達を思い出させた。
 
 イギリス人達が話をしていると、どこかアメリカ人の会話とは違う雰囲気ができあがる。おおまかな印象だけど、アメリカ人の会話は率直で浅いと感じる事がある。それに比べて、イギリス人の会話には言葉をぽんぽん投げ合って遊んでいるようなイメージを持った。会話のフットワークは軽い。でも、言葉は浅はかでなくて、どこか知的な印象だ。
 あるとき、イギリス人のなかでは珍しくシャイなボブが、肩まであった髪の毛をばっさり切ってきた。びっくりして「髪の毛どうしたの?」と聞くと、普通に「雨が降ったとき用に箱に入れてしまってあるんだ」と返してきた。これにはすっかり感心してしまった。シャイな彼がそんなことをパッと言うもんだから。それに今までそんな答え聞いた事がなかった。

 ボブの返してきた一片の言葉とRadioheadの歌詞は、全く違う言葉同士だけど、両方ともイギリスが土壌だ。違う言葉同士は、僕にとって「似た意外性」という括りで共通した。彼らの言葉の選び方、交わし方にどこか惹かれる。その言葉で軽やかに遊んでいる雰囲気がとてもよかった。


 Radioheadについてもうひとつ不思議なことに気がついた。
兼ねがね、音楽はタイムマシンだと思っていた。音楽を聞くと、前にその音楽を聞いていた頃のことを思い出すからだ。今は聞かないけど、もしDragon AshのGreatful Daysを聞いたら、僕の頭は夏のキャンプの光景をにおいまで含めて再現すると思う。それがその時鳴っていた音だからだ。そうやってどんな音楽もタイムマシンみたいになると思っていた。でも、どうやらRadioheadに関してはそれがあてはまらない。昔の曲を聴いても、あまり記憶がよみがえってこないのだ。何かを思い出そうとすると、うっすらといくつかの記憶が出てきた。ひとつではない。特定の思い出じゃない。どうやら、ずっと同じ音楽を聞いているとこうなるらしい。こんなこと初めて。これは新しい発見だぞ・・・。 Radioheadはタイムマシンにはなりえない。


・・・English Boysの間では東京がブームだった。たまたま当時はLost In Translation と Kill BILL 2 で日本がにわかに脚光を浴びていたからだろうと思うけど。彼ら側からしてみれば、(東京は)全く違うし、色々なものや文化が交錯していてクール、なんだそうだ。僕にしてみればなるほど、という感じ。でも、僕に取っては当たり前のことを、彼らは気に入って、僕も彼らにとっての当たり前を気に入って。なんか面白い。

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