久しぶりに早く家に帰れたから、今日はゆったり流れる時間を楽しむ事が出来た。
家で夕食をとり、親と話し、友達の事を考え、それに楽器も弾いた。
ベースはもう数ヶ月まともに触っていなかったから、まともに指が動かなかった。
へたくそもいいところだが、結局それはどうでもいいことだ。楽器を弾くという事が持つ意味は僕にとって計り知れない物があると感じた。日常生活や、サッカーですら届かない心の奥の方に音楽は届く事が出来る。そこに楽器があれば尚更だ。
楽器を弾きながら、アメリカで友達と楽器を弾いていた事が脳裏に浮かんできた。
久しぶりにあの感覚を思い出す事が出来た。楽器を弾きながら、頭のてっぺんに切ない甘みがやってくる感覚。この感覚は魂の喜びであると思う。悲しい、切ない音に反応して湧き出る感覚。一種の麻薬みたいなものなのかもしれない。これを求めてまた楽器を弾きたくなる。
音というものは旧石器時代の類人猿が、狩りの時に石を叩いた頃から始まっているのだと僕は思っている。その頃から、人間にとって音はずっと生活の一部なのだと思う。
話はずれたけど、楽器を弾いた後はたまたま部屋に積んであった雑誌の中のポールオースターのインタビューを読んだ。ポールオースターにとっての言葉。彼が 言葉を大切にする姿勢は、ペンとノートブックで執筆する話や、読者は本を読んでいる時に著者と二人で本を作るのだ、という言葉に表れている。
興奮する。
僕も言葉の力に魅せられていた時期がある。言葉に思いを込めて相手に投げる。相手も言葉に何かを込めて返してくれた時、そんなやりとりがたまらなく素敵だ と思っていた。だからこそアメリカに行ってからしばらくは自分の思いを「言葉に込める」事が全く出来ずに愕然とした。自己主張が全く出来ず、自分らしさを 表せないどころか、24歳にして赤ん坊に戻った気分だった。言葉がないだけで。
楽器を弾いて、インタビューを読んで、久しぶりに文化に触れた気がする。
たまには水を与えてあげないと枯れちゃうし、僕は枯れている事にすら気がつかない事があるから気をつけないといけない。