忘れるところだったけど
大事な瞬間があった。
川端康成の本をぱらぱら、ほんとにぱらぱらめくっていたとき、宇多田ヒカルが流れてた。
本の内容は日本の季節のことを書いていて、外の気温は涼しかった。
仲のいい友達と軽井沢に毎年遊びにいっていた事を思い出した。体の周りの空気を全て知っていて、その周りの空気は自分たちだけのもので。手でしっかりと時を掴んでいる、そんな感覚があった時間を思い出した。
もうひとつ、
最近友達と、少しだけど久しぶりに喋る機会がある。
彼らの言葉の使い方が日本で共有していた時間を思い出させて、目をつむりたくなる。
明らかにクオリティの高い時間と低い時間がある気がする。
やっていることの充実度や、意義から考えれば今はクオリティが高い生活と言えるけど、内面的にはクオリティが低い気がする。
言葉やまわりにいる友達との関係もあるんだろうけど、それだけなのかな? なんというか、日本の生活にあったような”深み”がこっちの生活ではあまり無い気がする。
後でここを去った時にどう思い返すのか、ちょっと楽しみ。まぁ、懐かしがって戻りたいと思うのは目に見えてるけどさ。
川端康成の本をぱらぱら、ほんとにぱらぱらめくっていたとき、宇多田ヒカルが流れてた。
本の内容は日本の季節のことを書いていて、外の気温は涼しかった。
仲のいい友達と軽井沢に毎年遊びにいっていた事を思い出した。体の周りの空気を全て知っていて、その周りの空気は自分たちだけのもので。手でしっかりと時を掴んでいる、そんな感覚があった時間を思い出した。
もうひとつ、
最近友達と、少しだけど久しぶりに喋る機会がある。
彼らの言葉の使い方が日本で共有していた時間を思い出させて、目をつむりたくなる。
明らかにクオリティの高い時間と低い時間がある気がする。
やっていることの充実度や、意義から考えれば今はクオリティが高い生活と言えるけど、内面的にはクオリティが低い気がする。
言葉やまわりにいる友達との関係もあるんだろうけど、それだけなのかな? なんというか、日本の生活にあったような”深み”がこっちの生活ではあまり無い気がする。
後でここを去った時にどう思い返すのか、ちょっと楽しみ。まぁ、懐かしがって戻りたいと思うのは目に見えてるけどさ。
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