Wednesday, November 17, 2004

メモ1

留学して二年目の今、学生生活には慣れたものの、違う意味でも慣れてきてしまった気がする。
もう一度スタートとゴールを確認しようと思う。

来た理由: 人が輝くアートを助けるために ビジネスを勉強しにきた

この前の部分が何か、というのはずっとあいまいにしてきていた。
僕がアートと言った時にそれは関数のnみたいなもので、スポーツでも絵でも音楽でも演劇でもなんでもその人らしさが出れば素晴らしいじゃないか、と思っての事だった。
日本にいたときは自分があまり視野が広くなかったせいか、周りの人がやりたいことをできず、輝けずにいるように見えた。自分もそのうちの一人だったのかもしれない。
アメリカに来て、というよりもこの大学に来て生活し始めてからは、すこしその見方が変わった気がする。輝いている人は、自分で輝いている。アメリカ人も日本人も関係なく。失敗を恐れずに自分で行動して積み上げたものの上で、また一段ステップを上がろうとする。反対に言えば、人は自分からでしか輝けない。セルフスターターでなければ本当には輝かないのだ。

それを目の当たりにすると今までいかに自分が積み上げてこなかったかがわかる。自分が積み上げた物があったとしても、なんとも言葉にしにくい経験だったり取るに足らないものだったりする気がする。これを言語化するのが就職活動で重要なんだろうと思う。

先日NYに遊びにきていた友達と話した時にも、この言語化することについて話した。彼は僕と長い間同じ環境で過ごしているが、僕よりもっと飛び抜けて感覚を大事にして生きている(と思われる)。彼は言葉にすることで形どられてしまうことが嫌だ、と言っていた。その時点で大切にしていた情景や思い、感情が枠にはめられてしまうから。 納得する部分があったが、逆に僕は言葉でもって自分が感じた思いをなるべく正確に表そうとするのが好きだから、その準備が自分の中で整えば言葉にしたいと思う、と言った。自分が最近してるかは別として。

それとは別に、              
僕が今自分がすごく中途半端な立場にいる気がする、と最近感じていたことも話してみた。「中途半端」ってけっこう大事だと思うよ、なんて言ってくれた。(みんな何かしらの形で働いてお金を稼ぐけど、プライベートでは全く仕事と違う趣味があるのはよくあることだし。僕も同じ)


僕は少々変わった音楽も好きだ。もしかしたら、音楽自体よりもそこにいる輝いている人たちの方を好きなのかもしれない。こないだのアニマルコレクティブを見に行った時に、ちょうど友達と言語化だ中途半端だ、なんて話をしていたわけだけど目の前にいるちょっとダサめで一癖ありそうな客たちを見ていると僕は幸せな気分になる。彼らはその場で輝いているからだ。 さらにそういう人や場のちょっと”外れた感じ”が好きなのかもしれない。前からそういう傾向はあったかもしれないけどノイズだらけの音楽とか、変なものに惹かれる傾向がある。

でも、同時に僕はビジネスの世界にも足を突っ込んでいる。きっとビジネスの世界をまわしている人間の血は青いに違いない、なんてくらい毛嫌いしていたけど、インターン後にはビジネスをもっと勉強したいと思っていた。何がビジネスを学びたいと思わせた原動力だったかと言えば、もっと知識があれば客の役に立てたのに、ということだ。あの頃はのし上がってやる、という意識はそんなに無くて、認められたかったのだと思う。

明らかに中途半端な立場に片足づつ突っ込んでいる気がしてならないんだ、と話したら彼は中途半端は大事だ、という。学際的な勉強のように、二つの異なる世界が交わる時には中途半端さが橋渡し役として生きてくるんじゃないかな、と。

橋渡し役。その役目を全うするためには少なくともビジネスは中途半端じゃまずい。
理念に共感できる団体の中で橋渡し役として働く事。それが今のゴールではないかと。

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