Saturday, December 18, 2004

一年ぶり

とは言え、ずっと住んでいた日本、すぐ慣れるもんだなぁと成田からの帰りの京成線で思った。たった一年だしね。
日本到着時間が近づくにつれて、日本で僕が活動していた世界が、当たり前のように感覚を伴って脳裏に浮かび上がってくるのを感じていた。それ自体にはちょっと落胆させられたけど。
でもどこかで中央線が並行して走っているのを見たときは懐かしかった。あー、中野行きだ!なんて思って。(インターンの時の会社が中野坂上にあったから、毎日のように乗った電車)
昨日は家族と話しながらごはんを食べ、酒を飲み、熱い風呂につかった。

そして日曜日。
食い物がうまくて仕方ない。
朝から時差ぼけも手伝って、食パン、残り物の寿司にカップヌードル。はぁ〜幸せだったな。
カップヌードルの味で最初のうまい!が来たのは以外だったけど。あまりにアメリカのカップヌードルと味のレベルが違って。。

その4時間後にラーメン食いに行ったんだけど、さすがに腹一杯で最初のひとくち二口を味わっただけで今はただただ満腹。
でもしっかり大盛り完食。なんなんでしょう。僕の胃は。 
久しぶりに運転したんだけど、全てが近場に会って、なんだか狭いな、と。
これって利便性という点ではいいことだけど、精神的には滅入ることもある気がする。
よく前はキャンプでアメリカに2ヶ月半行ったあとに帰ってきた日本が、”どこか”きゅうくつに感じていた。
今はそれがなぜか分かる気がする。アメリカと比べて日本が悪いとかそういうわけではなくて、
住む、くつろぐ、という観点から考えるとある程度空間にゆとりがあるか無いかでは、人が意図せずに感じる感覚に大きな影響を及ぼすと思う。空間デザインって言葉あるしね。アーバンプランニングとか。
日本にいてどこか感じるのは、いつも頭をくっと掴まれているような感覚。
何も無い平原に立つとうわー、広いな、すかっとするな、というのって、その掴まれた感覚から解放されたからなんじゃないかな。

さて、これから髪の毛を切りに行こうではありませんか。

あ、これを見た僕の友達は携帯番号を僕にメールなり何なりで教えてください。前持っていた携帯のメモリーがぶっとびまして、だれの番号も分かりません。


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