Monday, December 27, 2004

大時栄素途

だいじぇすとってことで、だじゃれじゃないの。放っておいてちょうだい。そんな気分なんです。

さて。日本に帰ってきてからなんだか不思議とmacと向き合う時間が格段に減ったのはなぜ?
家にいない、勉強がないから、かな。

当初の目標通り、この冬休みは人に沢山会う事ができている。
ジョブフェアの前日以外はほぼ毎日酒飲んでる。。。そろそろ体を心配してやるべきかね。

出会いは、
予期せぬ出会いがいいものになったり、貴重な出会いになったり、今の所おおむね満足。
たまに期待していた待ち合わせに落胆させられた事もあったが、それはタイミングや向こうの体調、そして時の変遷なんかも関係するのだと思う。どちらにしろこの先はもう自分から相手に会う事は無いのでは、と思う。

働き始めた友達と話す事も楽しい。
ずっと働いている友達とはそういえば会っていないな。働き始めた事で者を見る視点が変わっていく彼ら。いいと思う。

したこと:喫茶伯爵でお茶、石工のひろきくんと会う、夜一人家でシャツにアイロンをかけまくる、餅つきに誘っていただき、朝から酒を飲みながら8うす分搗きまくって上半身はしびれ、足下ふらふら、そして夜はこれまた誘ってもらって3時間フットサル、全身の疲労もち夜は熟睡、面接、クリスマスパーティと称して12人でホテルに泊まって騒ぎまくる、友達とその彼氏と親友と「渋谷で新しいビジネスを起こすなら何から始める?」なんて仮想事業プランを酔っ払いながら熱く考え、その末に親友はかなりいい発想をしている事に気づく、リアルである事、実体験の大切さを熱く説かれる、母が鞄を置いていただいている店のオーナー夫婦と友達の夫婦がやってきて結婚の話を聞く、その結果両親のストーリーが体にしみ込む思いをする、お世話になった人と落胆のランチ、お茶の水で飽きるまで楽器屋巡り、その際ジャンク品として格安でエフェクター購入、疲れるまで本屋で目につくものを片っ端からむさぼり読んで、帰りの電車爆睡、夜の街を少年のように勇ましく闊歩する・・・

あと24日!

Wednesday, December 22, 2004

日本だなぁ、と

国際展示場に行った。
新木場を越して、もう少し行った先。初めて行ったかもしれないけど、新しい建物、企画された街並みがいかにも埋め立て地、という感じ。別に批判する訳じゃないけど、どこの埋め立て地に行ってもどこも似た感じで、「無臭」。どこの街も似たり寄ったりで、体温が無い感じ。
埋め立て地の間に見える海と、人工的な夜景。
そんなところで、不覚にも?日本だなぁ、と実感させられたのでした。
僕の知っている無国籍都市東京。




写真手前に見えるのはJTの吸い殻入れ。上にあるメッセージボードみたいなのの拡大版が下の写真。「大人たばこ講座」の関連かな?
こういうの、いいと思う。こういう細やかさってアメリカでは見ない類のもの。


Saturday, December 18, 2004

一年ぶり

とは言え、ずっと住んでいた日本、すぐ慣れるもんだなぁと成田からの帰りの京成線で思った。たった一年だしね。
日本到着時間が近づくにつれて、日本で僕が活動していた世界が、当たり前のように感覚を伴って脳裏に浮かび上がってくるのを感じていた。それ自体にはちょっと落胆させられたけど。
でもどこかで中央線が並行して走っているのを見たときは懐かしかった。あー、中野行きだ!なんて思って。(インターンの時の会社が中野坂上にあったから、毎日のように乗った電車)
昨日は家族と話しながらごはんを食べ、酒を飲み、熱い風呂につかった。

そして日曜日。
食い物がうまくて仕方ない。
朝から時差ぼけも手伝って、食パン、残り物の寿司にカップヌードル。はぁ〜幸せだったな。
カップヌードルの味で最初のうまい!が来たのは以外だったけど。あまりにアメリカのカップヌードルと味のレベルが違って。。

その4時間後にラーメン食いに行ったんだけど、さすがに腹一杯で最初のひとくち二口を味わっただけで今はただただ満腹。
でもしっかり大盛り完食。なんなんでしょう。僕の胃は。 
久しぶりに運転したんだけど、全てが近場に会って、なんだか狭いな、と。
これって利便性という点ではいいことだけど、精神的には滅入ることもある気がする。
よく前はキャンプでアメリカに2ヶ月半行ったあとに帰ってきた日本が、”どこか”きゅうくつに感じていた。
今はそれがなぜか分かる気がする。アメリカと比べて日本が悪いとかそういうわけではなくて、
住む、くつろぐ、という観点から考えるとある程度空間にゆとりがあるか無いかでは、人が意図せずに感じる感覚に大きな影響を及ぼすと思う。空間デザインって言葉あるしね。アーバンプランニングとか。
日本にいてどこか感じるのは、いつも頭をくっと掴まれているような感覚。
何も無い平原に立つとうわー、広いな、すかっとするな、というのって、その掴まれた感覚から解放されたからなんじゃないかな。

さて、これから髪の毛を切りに行こうではありませんか。

あ、これを見た僕の友達は携帯番号を僕にメールなり何なりで教えてください。前持っていた携帯のメモリーがぶっとびまして、だれの番号も分かりません。


Thursday, December 16, 2004

全行程終了!

 今日の3時で最後のテストを終えた。これで今セメスターは終了!
反省や収穫や、いろいろあったセメスターでした。
あとはパッキングをして、12時間後には日本に向けて出発。
でも盛り上がらないんだよね。
まだここを去るタイミングではない気がする。
日本食を食べることも友達と会うことも、家族と会うことも、今はまだいい。もう少しこの空間にいたいかなぁ、なんて思っている次第であります。

Timing

水瓶から、溢れんばかりの新鮮な水を受け皿に注ぐ。
何日も乾いて、乾いて、乾き切っていた受け皿は、新鮮な水で潤いを取り戻す。そして新しく豊かな水面ができあがる。

でも、もし受け皿がすでに一杯だったら。
一滴の水を垂らしただけで水はこぼれ落ちてしまう。
いくら水瓶の中の新鮮な水が新しい受け皿を満たす準備ができていても、水は待つしかないのだ。
受け皿の水位が減るまで、もしかしたら受け皿が完全に乾くまで。
水が腐るか、違う受け皿を探さねばいけないのか、何が起こるか。

Tuesday, December 14, 2004

やっと

冬だなぁーと肌で感じられる気温。
2、3日間は雨が降ってたんだけど、昨日の夜から雪に変わってた。
で、今日は外に出るとしんとする冷たさ。
外気温は -7℃で体感気温は-14℃だって。
やっと冬が来た所でもうあと学校2日。
Idaが似合う気候。

そういえば去年は12月の終わり頃ー20℃の日があった。
その最低気温の日に外で一時間もタクシーを待ってて風邪引いた。
ありえなかったよ、あれは。

Monday, December 13, 2004

友達とスターバックスで勉強した帰り道、ふと車の外を見ているといすず製のトラックが止まっていた。
久しぶりに見かけたなぁ、と懐かしく瞬時に脳裏に浮かぶのは、日本で生協なんかで走っている業務用トラック。
そろそろ日本だ。

Friday, December 10, 2004

スプライト、カップラーメン、チップス、煙草

昨今取りかかり中のHRMのペーパーの手直しを今日もする。今日はさすがにデニスが来た。怒ってた。詳しくは昨日のエントリーで。
彼曰く、「俺は自分のパートを書いたし、自分のパートは完璧だし、なんであんなこと(解雇するぞ)いわれなきゃいけねーんだよ!! だれだよあれ書いたの!」 爽快なほどの逆切れ。マットはうつむいてわかるわかる、俺書いてないよ、って言ってた。これこそまさにコンフリクトハンドリングスタイルってやつ。衝突が起きた時にどう対応するか。マットのスタイルはなんだったかな。
僕はと言えば、すげーなー、ここまですっぱり逆切れされると見事なもんだ、と思いながらだれかに似てるな、と思ってた。デニスには電話して来るって言ったのに来なかったじゃん、って言ったらもう何も言えなくなってた。その後妙に優しいのも含めて、彼の単純さはアメリカ育ちの日本人の友達そっくりだと気がついた。 単純でいいやつで、でも感情的になりやすくて。切れると、そんなの子供のいい訳??と思うような内容のことを平気で堂々と言う。でも思ってみればアメリカってそういうこと平気で言ってのける人が多い気がするな。

結局ペーパーをまた書き直し(やっと明日提出。期限がなかったらきっとまた書いてる。うちのグループ要領悪すぎ。)
終わってから図書館に向かって明日のクイズへの勉強。さすがに疲れたな、と思って廊下にあるカウチに座ってたらサッカーを一緒にやってるアントンが来た。よー、何してんだよ、なんて話してて来週の月曜日ゲームに来れるか聞かれた。期末があるからわからない、と言ったら、"C'mon, we need you" って言われた。

うれしかったね。それまでの疲れが吹っ飛んだ感じで。
直訳だと、まさにうちのチームにはお前が必要なんだよ。って。
これって嬉しいよね。単純にだれかに必要にされるって嬉しい。それがストレートに伝わってくるのは英語のいい所だな、と思う。
まぁ、これで一気に疲れが吹き飛ぶ僕は単純です。

注:別に彼も僕もゲイじゃなくて、チームメイトです。


Thursday, December 09, 2004

背筋をただされました

昨日の夜ブログに文句たらたらエントリーを書いて、最近文句が多くなってる事を実感。
そんな時にある起業家の講演会お知らせのメールが来る。
何やらプロフィールは劇的なのだが、この最後のその人の言葉の引用にやられました。


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◆苦境◆

自分が最も成長できる状況。

■苦境のない人生はない。
乗り越えられない苦境は起こらない。
そして、苦境は悩み考えることによって行動を変革し、
人間的成長を図る場である。
その結果、自分と同じような苦境に
立たされた人々の役に立つごとができるようになる。

■つまり、苦境は自分が社会に貢献するために
自分に降りがかると考えることができる。
乗り越えた苦境の数は、その人の社会貢献度を示す。  

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もう、文句言いません!

怖いよー、解雇だよ解雇

久しぶりの投稿です。

今日はグループプロジェクトについて。
現在進行中のグループプロジェクトは、

Operations Management  (以下OPM - 運営管理学)
Human Resource Management (以下HRM - 人材管理学、組織論)

の二つ。グループプロジェクトってメンバーと話し合って、与えられた課題を完成させたり解決するもの。最終的にレポートを提出します。OPMでは子供用のお絵描きセットの資材集め、製造、販売経路の選定までをまとめる。HRMではミシガン郊外にある工場で起こっているある問題の解決策を提供する。そんなことをしてるんですね。

で、あれやこれや、言いながらグループメイトとディスカッションして作り上げる訳です。
ちょっと変わっているのが、グループ誓約書。
グループのゴール、してはいけないこと、決まりが守れなかった場合の事などをメンバー全員で書く訳です。この時点で教授から公に、グループメイトをグループから解雇する権利を全ての生徒が与えられているんですね。その時は、なんて怖いこと言うんだ、と思ってました。友達は前マーケティングのクラスですべき事をしていたにもかかわらず、クラスの終了直前に解雇されてるしね。

何で解雇が怖いかというと、もろ成績に響くからなのです。アメリカの大学は成績が全て。特に経営学部は点取り屋だらけで、みんな平気で一点のために教授にクレームをつけます。そんなの嫌いだね、とのほほんと暮らしてきてた僕も今は点取り屋にならざるを得ません。一点でも多く欲しいのが実情です。

こちら英語のハンデでお荷物になりがちな身分なので、最低でも自分の仕事は果たさないとクビになっちまう!と帯を締め直してプロジェクトに望んだわけです。ところが、最初はグループについていくのに必死で毎回ドキドキだったのが、最近はドキドキを通り越して、理解不能で呆れ半分、たまに怒り心頭だったりするわけです。

こっちが必死こいて4、5時間かかった事を、本気出せば1、2時間で出来るでしょってグループメートたちがさぼる、さぼる。しかもミーティングに現れない。弁解の電話はおろか、e-mailすらなし。来ない=仕事もしてこないので、予定通りに進めるために僕らは彼らの仕事をする。それも一度や二度ではなく。

こないだはこんな感じ。
集合時間を20分過ぎても5人中2人しかいないからメンバーに電話してみたら、「今起きた。キャンパスにいるから15分で行くわ」と眠そうなデニス君。おい。早く来い。でも結局いつまでたっても彼は姿を見せなかった。電話したら繋がらなくなってた。もう一人エリザベスは、前日夜のミーティングの知らせのe-mailに「行くわ」と書いてたのに、来ない。同じく電話もつながらない。

少人数で苦労して書き上げたペーパーをチェックしてもらい、そこで10枚のペーパー約半分の書き直しが必要になった昨日、またしても彼ら二人は来ず。マットは他のプロジェクトで時間を割けないとか言うから、ジェシカと僕で仕上げる。(といってもジェシカが書く。僕は隣でアイデアを出すのみ。そうなのです。ミーティング中はいつだって力不足を感じる瞬間。英語のハンデは、話す、書くだけじゃなくて、思った事を伝えるスピード、資料から必要な事例を拾い上げるスピード、的確さすべてにあるわけです。だから、僕が出来る事は与えられた仕事をこなす事、できる仕事があれば率先してやる事くらい。)
その日は、ペーパーの直しにほぼ午後すべて費やす。テスト勉強するはずだったのにさ。

もう、その日来ない二人に三人でぶち切れ。あの二人を解雇しよう、という話になったのは自然な成り行きでした。
一番に解雇されるんじゃ、って冷や冷やしてた人間がまさか連名で最終勧告のメールを出すことになるとは思いもしなかったよ。
もちろん彼らだって最初は仕事をしてたから、チャンスはあげた。それを無視したら終わり。
そしていつも通り、未だに返事なし。全く何を考えているのか、意味が分からない。甘えすぎ。

実はこういう話は結構あるようで、友達に言っても、さして驚かれません。グループメートに恵まれなかったね。と言われて終わりです。全ては人間関係なんだと思います。自己責任の国だけど、来ない人をどうモチベートするか。どう次に繋がる仕事を共同でするか。必要なものをどう手に入れるか。ただ、自分の力だけではどうにでもならない事もあることを痛感中。

そんなプロジェクトと共に、テストががんがんやってくる訳です。あとテスト4つ!


Friday, December 03, 2004

Flow <人間が最も意欲的な状態>

ギターを弾いた。
心行くまで繰り返し繰り返し、慎重に弾いた。
最初は弾けなかった曲をずっと練習していた。途中指をならすための反復練習を挟みながら、何度も何度も弾いた。
最初はこんなのいつになったらできるようになるんだ、と思っていたのに、いつの間にか指が温まったら弾けるようになってきてた。びっくりだ。それからは適当に自分なりのラインを作ってみた。いつもは指を勝手に動かして適当にやっていたのを、自分のタイミングが来るのを待ってみた。丁寧に音を出そうとすれば素直に音がでるものなんだな、と感じた。自分がひとつの音を出して待っている間にも曲は進むから、和音と単音の絡みが変わっていく。僕の好きな瞬間だ。だんだん、自分の弾きたい音が頭に浮かぶようになってきた。それをなるべく再現しようとして、繰り返し繰り返し弾いた。

何かに没頭した時、自らの感覚が研ぎすまされる状態がある。今日ギターを弾いている時がまさにそんな感覚だった。

Flowという状態がある。
何かにとても深く取り組む事で、それ以外の他のことなど全く気にならない完全な集中状態だ。アスリートはこれを「あの状態」と表現するらしい。Flowは、受け身ではなく自分から好きな事をしている時、または仕事で与えられたタスクに向かっている時など、ゴール達成時ではなくてそれを成し遂げようとする過程での強い集中力とモチベーションによってもたらされる。この時、ひとは外的にではなく、完全に自分自身の内側からモチベートされている。

ギターを弾いていた一時間はまさにこのFlowを体験していた時間だった。
僕が好んで聞く、 輪郭のあいまいなフレーズの繰り返しを多用する曲はこの状態になりやすかった。反対にはっきりした音で変化がはっきりしている曲を聞いているときはFlowの状態にいなかった気がする。これは好みによるのかな? 

下にFlowについて教科書から抜粋してまとめてみました。Flowを多く体験したい人、参考にしてみてはいかが?

Flow(The Flow Experience)は、好きな事をしている時だけでなくて仕事場でも多く感じやすい。
純粋に仕事に取り組み、仕事をよりよく遂行する手段を考える、そのエネルギーに満たされている時や、その成果を感じられている時、人は完全に自分の内側からモチベートされている。しかもこの状態は昇給や上司からの褒め言葉ではなくて、仕事をしている過程からのみ感じられるのだ。具体的には、仕事の選択、達成感、その意義、そして進歩を人が感じられる時にflowは起こる。(A Model of Intrinsic Motivation)

ちなみに、Flowを体験しているとき、人は幸せかというとそうではないらしい。深い集中状態で夢中だからだ。しかし、Flowを感じ終わった後にその経験を振り返った時に充実感で一杯になる。それから、明確な目標が無い時には自分の能力が発揮されてないため、リラックスしている時、テレビを見ている時なんかにはこのFlowは訪れないとのこと!

Wednesday, December 01, 2004

Sphare in the heart of the silence

タイトルは、先日購入したJohn Fruscianteのソロアルバムのもの。
封印してあったところを(といっても数日だけど)今初めて聞いている。
今回はギターと声が中心のものよりもシンセサイザーを使ったり、ノイズが入っているものにピンときたので、このアルバムを購入。

このCDを聞きながら勉強できるわけないし、彼の音楽は他の事をしながら流して聞ける類いではないと思っていたから、今やっと聞きたいタイミングが来たかな、という感じ。
歌詞をまだわかっていないから、どういう内容なのか分からないけど音は深い。真剣勝負。
個人的にはホワイトノイズの音が好き。テレビから流れるザー、とかサーといった音をホワイトノイズというんだけど、妙に荒々しくもないし、弱すぎずもないし、ちょうど聞いていて気持ちいい感じ。

・・・しっかし、このアルバム暗いわー。一人の時間にぴったり。内省的。
ちょっとレディオヘッドやシガーロスを彷彿とさせる音があったりする。・・・もっと音楽を聴いていたら別のたとえが出来るんだろうけど、これが今のとこ正直な印象。