Tuesday, August 31, 2004

2年目初日


univox1
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しばらくぶりに人と住む感じ。
キャンパスに戻ってきて一人になる時間が減った。僕がちょっと神経質なのかもしれないけど。

言葉で生活の幅が制限されるということがあると思う。
英語はコミュニケーションできるレベルになってるけど、まだまだ日本人との会話のほうが楽で、色々言える。
まぁ、今は夏休み中英語をそんな使っていなかったから忘れているだけかと。

クラスが始まった。安い教科書を探し中。

Ebayでギターを落札した。Univoxの High Flyerというモデル。この形がずっと欲しかった。前回違うギターに入札して負けたときの喪失感と言ったら・・・ま、前回僕を打ち負かしたやつの戦法で今回勝ったけど。

Monday, August 30, 2004

今頃汗したたってる

キャンパスに人が戻ってきた。
気分は戻らないけど、明日から学校ということで、今晩は少し飲みにルームメイトと友達とダウンタウンに行ってきた。
涼しくていい夜だった。部屋にいるとファンをつけていても(本日購入)汗が出てきていたが、そんな暑い日の夜は最高だ。
3人なんて少人数で出かけるのは久しぶりだ。今年も沢山面白い人と会えるといい。

Friday, August 27, 2004

back in campus

ということで、新しいアパートの部屋から書いている。
夜になってもキャンパスは光々と明かりがついていて外で音楽を聴きながら静かな気分になるのは難しい。人がまとまって住んでいるから仕方ないか。

片付かない部屋、ひとけの無いアパート、そろそろ学校が始まるという気持ちから来るのは少し落ち着かなくて、ほんの少しさみしい気分。

外では虫が鳴いていて、もう紅葉し始めている木があった。夏は終わった、と背中を押されているかのよう。

thousand islands

名前の通り島がいくつもある川へ行ってきた。
ここはちょうどNY州とカナダの国境地帯にあるリゾート地域で、どうやら避暑地として有名らしい。
川といっても、流れが日本のそれとは違ってまるで湖で、国境沿いにただただ水面が広がっていて、ボートを借りて走り回っても走り回っても行く場所がいくらでもある。陸から見える入り江の小島までモーターボートで行ったら、その裏にはもっと沢山島があることを発見する。いくつもの島を通り過ぎても、新しい風景がどんどん増えていく、そんな感じで島が無数にある場所だ。

直径2、3メートルの岩がひょっこり水面から突き出たものから、ぐるっとボートで回るのに1、2分かかる島まで無数に島があった。
なかにはゴージャスな古城が島の上に建っていて(石造りでかなり立派)、どうやってこれ建てたんだろうと想像をかき立てられる。城の雰囲気は巌窟王に出てきそうな感じ。写真ができたらここにアップしてみたいと思う。ボートからお互いを落とそうとしたり、大きなボートの作った波でジャンプしてみようとしたり、子供みたいにはしゃいできた。酒とステレオがあったら文句なしだったな。

明日ドームに引っ越すため、夜中の三時にまだ荷造り中。だるい。
新しいハウスメイトがどんな人になるのか楽しみだ。まぁ、変なやつらでも今回は個室があるから苦労はしないでしょ。
荷造りに戻らねば。

Wednesday, August 25, 2004

また一年が始まる

友達が徐々に町に帰ってきている。
新学期がもうそろそろだ、と感じざるを得ない。今は最後の悪あがきという感じで友達と遊びつくしている。

学校でインターナショナルステューデントのオリエンテーションをやっていた。
去年は僕もここにいてドキドキしていた。一年がたったわけだ。濃い一年だった。
これから始まる一年もふり幅の大きい一年にしてやろうと思う。

Monday, August 23, 2004

帰ってきました

今回ビンガムトンの町をcityからの帰りのバスから見た時は落胆が大きかった。
いつもは木と建物が半数くらいのこの町を見ると”田舎に帰ってきたなぁ”という軽い落胆と妙な落ち着きがあるんだけど。

この4泊5日は本当に楽しかった。
ふいにした夏休みを取り返せた、と思うくらい満喫できた一日一日だった。忙しい時間を割いて会ってくれた友達にただただ感謝!

8/18
バスで夕方3時半頃cityに着いて兄と待ち合わせる。待ち合わせ場所に来ない兄から電話があり、イーストビレッジまで行く事になる。
素敵なカフェに行って、ふうたさんと会う。不思議な雰囲気を持った、礼儀正しい人だ。きれいな目をしていた。またじっくり話をさせてもらいたいなぁ、と思う魅力的な人だ。
その後、荷物を舞さんのとこに置かせてもらってから街をふらふら。 St.Marksあたりを。レコード屋、古着屋を渡り歩く。久しぶりに会った兄は変わりない様子。
夜はIdaを見にKnitting Factoryへ行った。圧巻。今まで偏ったアーティストのライブやコンサートにしか行ったことが無かったし、Idaの曲をほとんど知らないで行ったけど本当によかった。一つ一つの音がしっかり聞こえて、更にそれぞれの音が重なったときに聞こえる音が素敵だった。女の人の声がきれいで、男のボーカルもきれいで。たまにコンサートやライブで思うけど、弾き方を知らない楽器から出る音を不思議に思う事がある。今回はバイオリンを弾くメンバーを見ていて、弾いている姿を見ながら、あれ、そんな音が出ているんだ、と思った。もちろんバイオリンの弾き方を知らないからどんな音がどうやったら出るか知らないのは当たり前だけど、なんというか・・・目の前で繰り広げられているステージとスピーカーから出てくる音が全く違うものに感じる。音は完璧だ。CDの音をそのまま流してるんじゃないの、というくらいきれいな音がステージ上で作られている。ただ、その作り方を知らないから見ている僕の頭は軽く混乱する。音は適度に壊れながら、気持ちよく進んでいった。 rock outした時は最高だった。下手なゴリ押しのロックバンドがrock outするよりも、音がきれいで基がしっかりしているからいい。狂ったギターが上で響くその下でアコーディオンが途切れる事なく鳴る。ドラムとベースが曲をしっかり支える。インストとしては今まで見た中で3本の指に入るくらい良かった。
帰りは舞さんのアパートまで歩いた。疲れて足も重かったけど、夜風が優しくて気持ちよかったし、単純に街を眺めながら歩ける事が贅沢だった。昼間の活気ある街じゃなくて休みについた街を歩いた。
その後は横町で飲んだ。はは。3時まで相手してもらって舞さんありがとう。ゆうととその後Queensのゆうとの家まで帰った。電車が使えなくなっていて、乗り換えさせられたりして、結局4時半頃ゆうと邸につく。5時頃まで話した。

8/19
親が兄に持たせてくれたあもを食べる。久しぶりの細やかな日本の味にため息。予想していなかった土産に親の心遣いを感じてありがたい。結局、Geordanの家に行く時間を延ばしてもらって、NYUの近くで兄と待ち合わせる。またSt.Marksあたりをぶらつく。始めてCityのオープンカフェに座った。ちょっと暑かったけど気持ちよかった。兄弟で話す時間だったわけだけど、そんな特に話す事があるわけではない。まぁ、話す時は話す事があるし、いくら会ってなくても話す事が無いのは男ならではなのかな。兄はあまり調子が良さそうではなかった。舞さんも兄も風邪を引いた様子。途中待ちぼうけ中に階段で座っていると、かなにばったり会った。彼氏のまさ君が髪の毛を切っている間ぶらぶらしているというからしばらく一緒にいた。会えないと思っていたから会えてうれしかった。Urban Outfitters で衝動買い。そして夜風が気持ちいい中、フルーツを本日二回目のオープンカフェでつまむ。ふむ。NYCを満喫している錯覚を味わったようでよい。
風邪でつらそうな兄と別れた後、LIRRに乗ってGeordanの家へ。彼の卒業パーティ以来だ。イタリアンアイスを途中食べてから、豪邸にお世話になる。しばらく英語を話していなかったせいで言葉が思うように出てこない。夜はHuntingtonに飲みにいった。前Chris, Jessとその友達と飲みにきたところだ。酔っ払っていい気分だった。Geordanは近くに友達がいなくてさびしい、Binghamtonのdowntownが懐かしいよな、なんて言っていた。僕も先セメ一緒に飲みにいったりサッカーをした友達が、もうこれから始まるセメスターにいないのはとてもさみしい。ビール一杯でバーを後にする。

8/20
ロングアイランドで過ごした一日。でも動き回った。Geordanのおかげだ。昼起きてからべーグル屋に行く。なかなかうまい。アラジンのランプみたいな形のビンをした変なコーヒー飲料を飲む。安い値段で店のコーヒーを飲めば良かった。近くのCD屋で迷った末、Dinosour Jr.とNo AlternativeというコンピレーションCD2枚を購入。二枚とも$3は安い。
その後はNorth Portの最近出来たというCD屋へ。ここの品揃えはおかしい。cityよりよかった。僕の好みにぴったりな品揃えなのだ。RockからIndie Rockまで品揃え豊富で、$1コーナーも美味しいコンピーレーションが沢山。調子に乗って6枚も購入。店でかかっていたGuided By Voicesのアルバムを買った。迷ったけど、結構安い値段だったしどうせいつかは買うとわかっていた。結局今回手に入れた9枚のCDの中で一番聞いているのがGBVだし。
North Portで桟橋を少し歩いてから古着屋、モールへ。その後寄ったピザ屋にびっくり。アメリカで始めて殺気立っている飲食店を見た。店員の”早くオーダーをくれ!”オーラがすごかった。日本の売れているラーメン屋とまさにそっくり。さすが一番うまいと言われるピザ屋だけある。味もよかった。こんなに店によって違うものか、と思うとびっくりだ。でも、これまた日本のラーメン屋と比べれば分かりやすい。飲んだ後食いにいくのが日本はラーメン屋、こっちはピザ。それくらいピザ屋が多くて、味もピンからキリまでなんだね。
食事をしたあとはどっかの学校で元チームメイトとボールを蹴る。残念ながら時間が時間で食べ物の消化よりもボールが見えなくなる方が早くて、すぐ引き上げる事になった。
帰宅後、用意をして昨晩と同じ店にのみに行く。IDを忘れた僕は昨晩入れてくれたガードがいることを願って行ったが、案の定違う男が僕を店に入れない。ここ以外の店は本当にIDが無いと入れてくれないのをわかっていたから、今晩どうするよ、となかば諦めかけた時、日本の学生証を見つける。駄目でもともと、21歳当時作った日本の学生証と今の学生証を見せて説明することに。もちろんバーのガードが日本語を読める分けないんだけど、話の分かりそうな兄ちゃんで、今まで行った事のあるバーの脳みそ筋肉タイプとは違ったようだ。たまたま通りかかったマネージャーに聞いて、彼はどうでもいいよ、ってな感じで「あー、入れて入れて」と。ういーーーっす!
勝利の美酒(はぁ?)は、シーバスリーガルをコーラで割る(しかもシーバス6のコーラ4)というなんとも贅沢な味。 疲れていたのか、シーバス半分で気持ち悪くなったわけです。 Geordanは先セメのうちら仲良かったグループの事で映画の台本を書こうと思っている、なんて言っていた。最初はそれで成功できるならみんな成功してるよ、と否定気味に適当に聞いていたけど、話を聞いていると、個人が楽しむにはまんざら悪くもなさそうな話だから応援しておいた。「これは全く自伝とかじゃないんだ。アメリカになじめないアメリカ人が5人のイギリス人とスペイン人、日本人留学生に会って時間を過ごす。それぞれ性格の濃い彼らと過ごして、彼らの存在を認めながら、結局アメリカ人として生きる事が自分に取ってしっくり自然で快適な事を発見する、って内容なんだ」とGeordan。おい、自伝っぽくないって思いっきり自伝っぽいじゃん、って思ったけど、アメリカ人学生の視点じゃなくて一人のイギリス人留学生の視点で書こうとしていると言っていたから、これはちょっと話の切り口が面白いかも、って思った。本当に映画になったら見てみたいし、どんな人が誰の役をやるのか興味津々だし! ・・・ってなんか高校生みたいなノリだよね。Geordanって渋い顔してる割には無垢なところがあって、そこが人につけこまれる所以なんだろうと思う。僕はそういう部分を見失ってなくて不器用に生きている彼に多いに共感しちゃうから、きっと仲いいんだろうと思う。お互い不器用なんだろうな。

8/21
NYC最後の日。Geordanの家でゆっくりさせてもらってから、夜キャンプの友達と会うために再びAstor Place、St.Marks界隈へ。本当にこの辺りは日本人が多いしにほんの店が多くて驚く。しかし、ここらに居酒屋を作るというアイデアは粋だと思う。
いずいず、よりこさん、れいなと会ってから大将へ。そこでみきが合流して、髪を切っているれいなが帰ってくるまでにゆうとが合流。結局れいなが帰ってくるまで5時間くらいそこにいたかな。飲み屋って本当に時間を忘れるよね。本当にあそこにいた時は日本にいたみたいだった。店員も客も日本人で、日本人以外がいるのが珍しい、っておかしいもん。NYCのどまんなかで。
そのあと、コーヒーを飲んでから磯田に合流。始めてエイジアンクラブ?というのに行った。カバー(入場料)に$20もするいい場所だ。中に入ると、これまた異様な雰囲気。中国系、韓国系の人が95%を占めている感じ。とても豪華な場所で、スニーカーしか無かった僕は靴を磯田に借りて入った。テキーラのショット一杯が$9もしてびっくり。。あとでバドワイザーを頼んだら一本$5ちょいで安いと思ったのはなぜでしょう。 しかし、いい場所にいてはしゃぐと、これまた気持ちいいのは面白い。普段踊るのが苦手な僕もテキーラで勢いをつけたせいか、しまいにはステージの上でついにエロダンスをしてしまった。 なんというか、アメリカのダンスって誤解を恐れずに言うとセックス一歩手前みたいなんだけど、それを普通に友達とやってしまう感覚が?という感じ。頭が?でもステージの上でそれを友達とやってしまう男のふがいなさ。楽しかったです。 まだ踊りたりないようー!という珍しいうずめきを持ちながらクラブを出る。夜はまだまだー!という3人の意見で車に乗った5人は、Jones Beachへ。本当にマンハッタンから砂浜へ。
窓を開けると塩のにおいが嗅げるところまできて、本当に来たと実感。海岸まで歩いて、海が見えたから走った。
海にいる間、とにかく走って、叫んだ。酔いも手伝って、やりたい放題。叫んで、走って、寝転んで。また叫んで走って、寝転んで。これほど魂が解放された瞬間は久しぶりだった! 結局みんなジーンズがずぶぬれで、僕がこの4泊5日苦労して運んだ荷物は着替えを提供するという形で役に立つ時が来たのでした。yay!海を後にしてQueensまでれいなとゆうとを送る。喉がかれて、疲れてたけど最高に気持ちよかった。 夜は磯田かみきか、どっちかのいびきに悩まされて1時間くらい眠れなかった。

8/22
ついに田舎に帰る日が来てしまった。帰りたくなかった。磯田邸で3時頃みんな起きる。起きてから朝食(?)ごはんを食べにメキシコ料理屋へ。そういえば今までタコベルくらいしかメキシカンの店に行った事の無かった僕は味がうまくてひたすら感動。どうしてこう、都会の中心部に近い場所と田舎では食べ物の味、人の意識、細かいようだけど女の人の化粧とかさ、全然違うんだろ。慌てて飛び乗って間に合った帰りのバスで、マンハッタンを出た後に泊まった中間地点でそれを肌で実感。バス停につめている20代くらいの若い人が、田舎特有の味気ない化粧をしていた。顔もつまらなそうで、うたた寝から醒めた僕はその瞬間に都会から帰ってきた事を実感。さっきまで友達と一緒にいて味わっていた、自分もあの都会の空気でやっていけそうな、そんな夢心地の雰囲気をまったく覆されてしまうような、田舎の空気を実感。cityから3,4時間車で走るだけで、時が5年、10年は遅れているんじゃないか、と思わされてしまう。

そんな訳で今回は大きな落胆を感じつつのホームフィールドへの帰還だったわけです。でも、それはひとときのことで。この4泊5日の休みのおかげでサマーセッションからの区切りがついたし、休みを満喫した!と感じれたから晴れて新学期を迎えられそうな気分。

この5日間で、どっぷりGuided By Voicesにはまる。ただのかっこよさじゃなくて、自分のペースに合ってると思ってしまうこのバンドは、これから相当長く付き合うだろうことになることを予感。本当にかっこいいんだって。


Taisho2
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Wednesday, August 18, 2004

新学期マエさいごの遠出

酔っ払えない。
うれしくない話だ。酒を飲んで酔いたくない時は早く酔っ払うのに、今日はいくら飲んでも全く酔えん。明日からNYCだから早く寝ないと。兄に会うのは半年ぶりくらいか。そんなに久しぶりでもないか。ということで、4泊5日のNYC滞在、楽しんできまっす。

Tuesday, August 17, 2004

8/17  → 休み3日目

水曜日からcityに行く事になった。
今回はnight lifeが楽しみだ。水曜の夜は、Ida、木曜はGuided By Voicesを見に行く。今日一緒にGBVを見に行く友達から電話がかかってきて知ったのだが、なんとGBVの前座はAmbulance Ltd. だというのだ!! 大興奮。・・・まー、Yoga Menas Union以外はそんなに好きでもないけど。ひどいバンドを見るほど苦痛な事はないから、いいけど。Yoga...をやってくれることを願う。この曲は本当に好きだ。こういうインスト系の曲はたまらない。 
しかし、こっちで本当にびっくりなのはこの二つの有名なアーティストを見れてただなのだ。日本だったらそれぞれに4,500円は払うのに。ほんとこっちの若い人は恵まれてる。

Ebayで入札したギターがこつ然と姿を消した。ただのオークションしか無かったはずだし、と思って調べていたら、メールで通知が来ていた。いわく、知的所有権を侵す表現があったからこのオークションは取り消します。あなたもこの取引からいち早く手を引く事を勧告します、とのこと。 おお、すごい。言葉使いから、これは下手すると法的トラブルに巻き込まれる可能性が見える。こえーこえー。こういう事が実際に怒るのね。これこそ生きた勉強。ebayやっててよかったッス。 しかもsellerがそのギターを売る時はまた教えてくれるって言うし。

ギターといえば、今日はBruce Springsteenの "Streets of Philadelphia" を何回も聞いた。一緒にギターを合わせてみた。アコースティックライブバージョンと普通のバージョンはそれぞれ味があっていい。この曲は出てきた当時から耳について離れない。

さて、これから8Mileでも見ますか。やっとだよ。キルビル見てないし。最近CMでやたら見たい見たい、って思わされる。映画見るなら今のうちだろうな。

Monday, August 16, 2004

最驚だって! ガッツ石松の本

やっばい、久しぶりに爆笑。
頭のいい漫才より面白い!
なぜって、頭で考える領域を凌駕してしまっているから・・・。
この本欲しいかも。

http://books.yahoo.co.jp/featured/interview/20040811guts/01.html


なんていうか、長嶋さんと似たにおいを感じるのは僕だけ?
日本全国に怒られそうだけど。
でも一芸に秀でた人っていうか、どこか飛び抜けてすごい人って、どこか欠けてるからなぁ。

その逆もしかりで、僕は常日頃周りからシカトされたり白い目で見られがちなタイプを観察するのが好きなんだけど、だいたいのケースで、彼らはどこか飛び抜けて優れてる。っていうか、突き抜けちゃってる人もいるけど・・・。憧れるんだよなぁ、ああいう人たち。世俗的な余計なところで力を使わないで、やりたいことまっしぐらってのがいい。今はいないだろうけど、あえて例えればビン底眼鏡くんとかね、すごい尊敬する。

同じクラスだったK君はサッカー部のキャプテンで、バンドもこれからそれで食っていこうというくらいのレベル、その二つを同時並行させつつ成績オールAという、できすぎ君だった。でも、ひとつ彼に欠けてたのは、洋服のセンス。なんて言うか、ずれてる。洒落っ気がないわけじゃないんだけど、ずれてる。普通に親から送ってもらったものを大学でも着てたりする。ばれんちの、とか刺繍がどん、って入っているのとか。 友達に誘われて買い物に行っても、どこか買うものが面白い。多分みんな買わないものを、翌日着てたりする。で、サングラスはけっこう毎日かけてる。サッカーもバンドも勉強も飛び抜けてたけど、服装も俺ワールドを確立してた。 もう、そのずれが人間ぽくて大好き。多分それで服のセンスがよかったら僕はやってらんねーよ、ってひねくれてたかも。

Sunday, August 15, 2004

僕の名前はDustinです

んー、昨日は何したっけ・・・?
なんかこのblogも日記みたいになってきてるけど、まぁいいか。
そうだ。昨日はコンサルゲームをしたり、はじめてebayでbidしてみた。前から欲しかったmosriteのギターを探していたら、安くて渋いのがあったのだ。こんなところで金使う程金があるわけじゃないんだけど、冷やかし程度で入札してみたわけ。実際は日本のT社がMosriteのデザインをコピーして作ったいわゆる本物じゃないけど、それゆえに安いしT社も好きだった僕としては願ったりかなったり、という感じ。あと一週間近くあるから、落札できるかわからないけど。高くなりすぎない事を祈る!

今日車の中でその話を友達にしたら、"Ippei uses Ebay hahaha!!!" とギャグを言って自受けしてました。
なんでギャグかと言うと、僕が自己紹介をする時にEbayみたいな発音でIppei、というから。僕の名前は日本人以外には発音しにくいらしく、初対面の相手によく混乱されるので、こっちから百歩譲ってEbayみたいな・・・というと大体一発で覚えてくれる。 
ま、今日のギャグを言った友達は、話は長いしよく親父ギャグを言うし、冷めた反応されても懲りない憎めない奴です。僕はギャグセンス無い、とかつまらん、っていつもばっさり友達に切られるけど、もしやこの友達みたいな感じなのかな、と思うとちょっと・・・厳しいやね。危機感をうっすら感じました。 
ちなみにIppeiをそのまま字面で読むと「イピー」となるらしい。なんだそりゃ・・って感じだし、それならイーペイでいいや、という感じで。たまに”Ebay”とそのまま呼ばれても、面倒くさいので間違いは指摘しません。イングリッシュネームで呼ばれるより全然なじみがあるしね。

ちなみに英語圏の出身でない人はイングリッシュネーム(またはクリスチャンネーム)を持っている事が多い。スペイン語圏の人だとちょっとしたスペルと発音の違いでおおかた自分の名前は変わらない(クリストバル→クリストファー、ビクトル→ビクターなど。 まぁ、本人達にとっては大きな事だろうけど)。

でも、生まれも育ちも「麺食って育ってきたぜ!」的なアジア人が、俺クリス。あたしステファニー。とか名乗っている姿を見ると、どうも最初は違和感が。何しろ、中身は完璧アジア人で強い訛もあるのに名前はアメリカンだったりするわけで。
もちろん彼らは便宜上の理由でそう名乗っていて、多分一番多いのが別に本人達も望んでいないけど、英語圏の人間には自分たちの名前を発音するのが難しいし、覚えてもらえないから、というケース。たしかに、僕がクラスに行って英語圏以外から来ている人の名前を覚えるには時間がかかる。頭にその国で使われる名前の蓄積がないから、しょーがない。自己紹介されても、まるで化学記号の名前みたいに、なかなか頭に定着してくれないのだよ。それよりもマイク、とかジェームズ、って言われると一発。
たまに、こんな会話になる事がある。   

”クリスがさー・・・”  ”クリスって誰?"  "え、あの同じクラスでいつもクラスでお前が一緒にいる韓国人だよ"  "あー、あいつの名前クリスっていうの?"     

同じ国から来た人達はもともとの名前で呼び合う事が多いから、イングリッシュネームを聞いても全くピンと来ない、という話。ちなみにこの時僕が話していた相手は、「あいつそんな名前で自分の事呼ばせてんだ」、ってな顔でにやっとしてました。なんとなくこそばゆいのは分かるんだよね。

僕がインターンをしていた先の上司は、生まれも育ちも、顔も体もめちゃめちゃ日本人なのに、エディ上条(仮名)って感じだったのね。今ではビジネスの為、と十分納得できるけど、最初は戸惑いの色を隠せませんでした。当時はあまりに意外で、英語で仕事する時に便利だってアメリカ時代につけてもらった・・・ってちゃんと説明されても心のどこかで「・・・この人、ちょーっと気取ってね?」なんて思ってますた。今思うと、んー、恥ずかしい。島国根性かなって感じだけど、当時はまじめに頭が??で一杯でした。

でも、必要に迫られなくても、むしろ自分から積極的に同じような顔して「私ティファニー、よろしくね!」ってな人たちもいる。これにはちょっとびっくりした。僕なんかはこの人たち自分の名前になじみが無いのかな、と思ったけど、国によってイングリッシュネームを持つ事が格好いい、という雰囲気があったりするみたいで、まさに文化の違い。
幸いというかなんというか、日本人はそのままの名前で理解される事が多いし、日本育ちの人が英語名を主に使っているケースは今までビジネスネーム以外聞いた事がない。なぜかと言うと、どうやら他の国の名前に比べて少し覚えやすいらしいのだ。kEIkO, tAkAshI, みたいに必ず母音があるし、子音も多くは無いから発音しやすいらしいッす。言語学専攻の人、間違ってたらなおしてね。

と、なんなんだ今日のエントリーは。

今日したこと→始めてプリウスに乗り、いつも通りの豪雨と快晴の波状攻撃の中、woodbury commonsまで往復(後部座席と助手席で)。アウトレットでは、沢山韓国人、中国人を見て安心する。人生で始めてBrooks Bros.で買い物する(ネクタイ一本のみ)。やばいかっこいいね、あの店。帰ってきてOutbacksでステーキを食い、また散財してみる。

今日のiTunes→"alive" Pearl Jam  "give it away", "this velvet glove", "under the bridge" Red Hot Chili Peppers  "life still applies" Wheat
パールジャムが良くてびっくりした。そういう気分なのかな。早く音ログをつけたい。

Saturday, August 14, 2004

day one of the summer vacation second stage

よく寝た。もうこれ以上布団にいたくないと思うほど布団を満喫。
枕に顔を押し付ける感触がたまらない。不思議な事に夜(最近は朝方)は布団なんてどうでもいいのにね。起きる頃には世界で一番最高な場所。

いただいたe-mailをじっくり読む。咀嚼しようと試みる。まだ知識が足りないみたいだった。もっとリサーチが必要だ。
友達に電話してサッカーに行く約束をする。まだスパイクが無くて今日も滑るだろうけど、運動したくてたまらない気分だった。

さて、サッカー。さすがに二回目とあって落ち着いて頭を使ってプレイできた。この瞬間が好きだ。自分がゲームを理解し、自分なりのアクションを起こせたとき。ディフェンスで相手を止めれる事は大した事ではない。たいてい自分が冷静でいられれば相手が自滅する。
それから、むやみに走る事をやめたから、転ばない。芝生の上でインドアシューズでも、スパイクをはいて個人技に走る馬鹿を簡単に止めれる。そういえば、サッカーしてる時にイギリス代表のマイケル・オーウェンがレアル・マドリッドと契約した事を知った。巨人軍以上の馬鹿っぷりである。誰かが、「レアルに必要なのは選手じゃなくていいコーチだ」と言っていた。まさにその通り。これ以上いい選手を買ってもいいことなんかない。優秀な選手が控えに回る事で見てて試合がつまらなくなる、いい選手にベンチを暖めさせる事によって彼らを生殺しにすることにも繋がる。他のチームと差がつくことなんて考慮外だ。金で優勝が買えるならやってみろ、ってんだ。ついこないだのリーガ・エスパニョールでの成績が、いかにタレントをそろえたチームが駄目になるかを証明している。巨人軍も同じね。優秀なコーチも必要だけど、同じように優秀な経営者も必要だろうと思う。新しい選手を買う事でチームにいる選手の士気をどう今まで以上にもっていくのか、考えてるのかな? 考えてなかったら、大金でトラブルを買ってるようなもんでしょ。毎年新しい選手を買うためにシーズンオフにアジアとかアメリカに来て金を稼いでいるなら、僕の方がいい経営できるね。まるでやってることの意味がわからない。移籍してしまう選手も選手だ。金を稼ぐ事が第一条件でサッカーしてるなら、うなずける。でももし、レアルで他のトッププレーヤーとプレーしたかった、なんて言おうものならがっかりもいいところだ。 下位チームでなんとかしてやってく方がよっぽどいいじゃんかよ。

と、レアルのどうでもいい話(ほんと呆れてる)はいいとして、サッカーの後友達と飲んだ。
やっとジョニーを飲めた。ちょっとMain st.の酒屋は高かったけど、今日買わない手はなかった。Red Labelでも十分うまい。 スコッチは最高だ。誰がなんと言おうと最高だ。
そうだ、今日作ったシーフードスパゲティはなかなかよかった。友達にも好評だった。そのパスタを目の前にして、シャワー後も飲まずに我慢していたビールを一気に流し込む。・・・こんなにビールがうまい瞬間はないよ。昨日とは比べ物にならないうまさ。
ビールを飲みながら、パスタを食う。パスタと言えば、こないだ品揃えがいい食品店に行ったときにBarillaの種類を数えてみた。
たしか、その売り場で23種類! んー、ちゃんと料理された23種類を食べ比べてみたい!

Friday, August 13, 2004

気付き

山内さんからメールの返信が来た。
いつもこちらの状況を理解してしっかり意見をくれる。
そこで気付いたこと↓

今まで、日本で大学を出て少し働いて、また大学に来た時に思っていた、『学生気分になりたくなかった』のは、目的意識を失いたくなかったからだった。閉ざされた大学という空間でなくて、社会の風を感じて勉強していれば常に目的を失わずにすむ、と思っていたからだった。やっと気がついた。ちょっと遅いけど、でもこれから頭に置いておこう。

目的意識はスターターの視点だけど、当事者としての問題意識を感じる程の経験をインターンでできたか?
これは考えるに値するはず。
自分の問題としてビジネスに関する知識、力は足りないかと思ったけど。

いずれにしても、想像力って大事なんだな。自分が仕事している姿を想像すること、教科書の向こう側の実社会を想定して勉強すること・・・。ビジネスに創造力が必要なのはわかる気がする。想い描いたことを実行していく、実践的な姿勢があってはじめて創造的だ。

ひえー、むずい。。。てか英語で手一杯の僕にはきついことだ。
でも、やるしかない。一歩一歩。

Thursday, August 12, 2004

Ends

ok so now I am free.
I am done with summer sessions finally. yeah.
I am typing this drinking Heineken and listening to music randomly from iTunes. I am free as a sloth. I have no idea what to do tomorrow except for going to gym to hurt my muscles. There is nobody who I want to share booze tonight in this small town. Music makes me miss my friends.
Heinekens only helped me feel good for a moment. Now I am full and closed to sober. When I keep drinking beer at a constant pace, I get sober. I don't want to have beers in rapid sequence. I need Johnny. Black would be nice.

Well, tell you the truth, I was really surprised to hear the words from her mouth. I became numb even though it was the moment I was waiting for this whole summer. No I haven't waited for the moment we talk. I've been waiting for grow apart from her. I've been questioning our relationship. Honestly, I wanted to break up with her for a couple of months whether or not I realized it or not.
Anyway I didn't expect her to initiate the conversation. She started after she finished her last class and three hours before I take final. Yes, I was stupid. I was gonna tell her what I've been thinking after we both finished our school load. She had no place to go but to be here for the summer. It was hard decision to keep my words until the class ends. But that was my decision and days were dull. I know I blew our summer.

Actually I wanted to be the one who starts our talk. I am not sad or depressed anymore. I just regret what I have done for our time and I am thinking better alternatives which I should have done.
継続は力なり

やると決めた事はやり通す意志を持つ

忍耐強くなれ

言いたい事は言え

何かを許容できる事と自分を曲げれる事はどう違うのだろう
違う事は確かだ
どこで折り合いをつければいいのだろう

がっこ

今日からGmailを使い始めた。お試し版だ。いいだろー♪
・・・やれやれ。
あと一日。早く終わってくれーい。

Wednesday, August 11, 2004

チクタク チクタク

 心底勉強がつまらなくてどうしようかと思った。
読んでも読んでも頭に入ってこねーの。サマーセッション、もう早く終わってくれー!というところ。
友達はみんな働いている事だし、僕には少しでも夏休みがあるだけで感謝しないと・・・なんて始めは思ってたんだけど、やっぱり気分は夏休みだからおいおい、学期中みたいに勉強してるよ、ちったー遊びてーよって事になるわけでさ。もう気分はすっかり学生だよ。って学生なんだけど。
ふいー、あと2日!

Tuesday, August 10, 2004

look back 1

自由学園のホームページを見た。
過去四年間を振り返る。記憶と感覚の断片が思い起こされる。

キャンプと、それをまとめた卒業研究、インターン、サッカー
自分の軌跡を残そうとしたわけではなくて、
自分がその時出来る事を、乏しい自分の力でやった期間だ。
模索の期間だった。
何が自分にとって大事な事なのか、それがうっすらとわかりながらも、それに常に自信を持って動く事は出来なかった。
例えば子供が好きだ、と認めたくなかったし、キャンプからは卒業しなければいけないと思っていた。
自分が本当に大事なものを、大事だと言えなかった事で自分が掴めなかった。その中でもがいていた期間だった。
それを、今まで言葉に起こす作業をしていなかっただけだ。

完全燃焼という言葉は遠かったけど、何かを学び取った期間であることは確かな気がする。晴男先生の文章がよかった。ちょっと甘くて優しすぎなんじゃないかと冒頭は思ったが、新しい判断基準を持ち込もうとしている先生に、さすが、と思わされる。

過去があって、今がある。そして、先がある。

明日は何が起こるか分からない。
今はそう感覚で感じることができるようになった。
あの四年間は日々が永遠に続くような気がしていた。

 外的な力
圧力をかけられない、本当に自由の世界だった。確かに、それはそれで尊い事だが自由と放任の境があいまいだった気がする。
生徒だけでなく、教師も環境に慣れてしまっている状態だと思う。片側からしか一つの物事を見れなければ、もうすれば新鮮にものを見れなくなっているという事だ。在籍何年、という人間が偉いのではない。

 内面
怖かった。常に失敗を恐れていた気がする。周りから外れまいとしていた。でも息苦しくて自分が裸になれる場所を求めて喘いでいた。薄々今の状況は自分が破るしかない、と気付きながら、怖くて動けなかった。居場所は個人や外に求めた。

狭い世界だった。学園を出た事が無かった僕の視野はとても狭かった。アップアップになっていた時、抜け出したいと思って母に相談したが、環境を変えるのは簡単、でも今いる環境で問題を打開していく力が必要、といったようなことを言われた。それで外には出れないんだ、と思ったっけか。 それで諦めてしまうほど考えが浅はかで、視野が狭かった。他の選択肢を持っていなかった。

自分の欲が満たされていいのか、なんて事をまじめに思っていたときでもあった。人を優先するべきだと思っていたのだ。
だから人に自分の労力を捧げる事は僕にとっては楽だった。自身の欲について考える事から逃げてしまえるからだ。
ただ、単純に自分が傍楽ことも好きだったけど、そんな具合だったから自分が働くことを好きだ、ということを認識できなかった。
まぁ、これのおかげで、人をよく観察できるようになったし、客観的にものごとを見れるようになってきたのはこの副産物だろう。
とにかく、自発的になったことが少なかった。だから学部の四年間は記憶に薄い。インターンの3ヶ月は濃い。

今は違う。
自分の欲を認めて素直になること、それが始まりだとわかったから、もう歩ける。

八月なのに

 ”久しぶりに”日中暑かった。
ここのところは涼しくて日中にスウェットを着たりすることもあった。
朝晩涼しくなるのは、過ごしやすくて良いんだけど、今日は日中暑かったくせに夜寒くてジャケットを着た。「山の天気と女心」(変わりやすいもののたとえ。個人的には女心よりも男の心の方が正しい気が・・)と言うけど、もうこのことわざ?言い飽きる程言った。
たまに寒いんだけど、まだ8月だよ。

サマーセッションもあと3日。
NYCでお世話になる友達に挨拶しておかないと。
キャンプの友達からはメールが来ず。きっと忙しくて見れていないのだろう。電話したほうがいいのかもしれない。

時々思う。
自分は自分らしくあれているか
誰かの影響で動いていたりしないか
ゆっくりでも自分のアイデアで、自分の足で歩きたい、と思う。

Monday, August 09, 2004

calling

キャンプで働く

どこでもいい。ただそこで子供の笑顔が見れて、成長が見れて
できたら仲間と働ければ、それ以上はない!!

Saturday, August 07, 2004

右の翼と左の翼の中間って何? 無関心?

 女性が天皇になれなくて、しかもそれが法律で決まっているなんて知らなかったよ。
てか、興味がなかったんだよね、皇室に。どうでもいいというか、実際何しているのか知らなかったし。
だからアメリカに来てから皇室について聞かれても国の象徴だ、としか答えられなかったり。

 でもちょっと前のニュースで出てきた雅子様のストレスの話はひっかかった。
皇太子様がテレビで話した内容はなぜかぐっとくるものがあった。
きっと伝統やしきたりなんかから来る重圧と妻への夫としての想いの間で板挟みにあったのではないかな、と思うと慎重に選ばれた言葉から十分苦悩している事が伝わってきた。その苦悩が人間らしいと思った。
何でいつも微笑んでいて、本当にはよくわかっていなかった皇室の仕事について興味がわいてきました。

それとは関係なく、くるりのサンデーモーニングを3時間くらい続けて聞いている僕。
一曲リピーターになりつつあるなー。

サンデーモーニングを聞きながら雅子様に関する新聞記事を読んでいたわけだけど、
感情を表す事が仕事みたいなミュージシャンと、私生活を語らない事は暗黙の了解で、もくもくと職務をこなす皇室の人たちとのコントラストに切なくなった。
誰にだって出来る事、出来ない事の制約はあるのだろうけど、皇室はもっとオープンになっていいんじゃないかな、と思った。そしたら国民からもっと関心を持たれるんじゃないかな、と。

 日本的な奥ゆかしさ、恥の文化って硬質に限らず大切だしいい事だと思うけど、どんどん変わっていく時代でそのマイナス面ばかりが強調されがちな気がする。国として変わるべき部分と変わらないべき部分をはっきりさせていくことが大事なんじゃないかなぁ、なんて。

 文化を変えるというと変な言い方だけど、どうせ文化は時代の風に流されて誰の意思でもなく変わっていくものなんだから、それならもっと日本にいい風に意識的に風向きを変えてもいいんじゃないかと思ってみる。(他のどこの国にも迷惑をかけないで。アメリカの一部の政治家はシオニズム実現を本気で目指してて、シオニズムについて書かれた聖書の内容が実際に起こるのを待つのではなく、自ら書いてある内容を実践してしまおうとしている。ってしようとしてる事は戦争なんだけど。記事を読んだけど、そんなのとは比べんでちょ)
 自国の文化って、その国の人一人一人のアイデンティティに深くつながるわけだから、誰にとっても他人事ではないし。日本の文化は日本に長く住んでいる国民にとっては至極当たり前だ。改めて文化って・・・なんてこのテキストみたいに言ってても、あるのが当たり前だから、だから何?感覚でわかるでしょ?というのが実感だと思う。でも、当たり前だからこそあまり自分の文化について知らない、客観的に見れないという事も事実だ。

 僕はアメリカに来るまで他の国と実際に日本を比較した事がなかったから、日本そのものに関心がなかった。幸い外から日本を見るチャンスに恵まれている。外から見る日本は楽しそうだけど、どこか頭打ちしている雰囲気がある。なんか、天井の低い小さな家でわいわいやっているような。アメリカは新しい事に寛容で、よくも悪くもいい加減だから、常に何かが起こる気配がある。(繰り返し 良い事も悪い事も。) 日本でも面白い事してたり、学生で起業していきいきしている人ってのもいて、そういうのっていいな、と思う。もっと沢山突飛な事をする人が出てくると面白いなぁ、と思う。そのために社会全体が変わろう、とするのも悪くないじゃん、なんて思ってみた土曜の午後でした。言うは安し行うは難し、と。僕は考え続けます。


 学校だったか、会社だったかで聞いたっス→ 『伝統は守るものではない、壊すものだ!』
熱いね、この一言。もっとスパッとかっこいい言葉で表現されてたんだけど。形を壊しても、そのコミュニティに必要なものは必ず残る。どんどん更新していくんだ!ってことですね。まずいのは、伝統にしがみついて化石になってしまう事、って意味。


 ちなみにこれ書いてて、こういう内容って「右だ左だ」って言われるのかな、と思って右翼と左翼についてネットで見てみた。しっかりいらっしゃるのね! それはいいとして、なにも右、左、と言っていると国を思ってる人がそれしかいないような印象になってどうもいけすかない。国民の何%かしかそういう人っていなそうな気がするけど。するとみぎとひだりのあいだは、無関心なのかな? ってこと。ある意味一番タチ悪いぞ。

Thursday, August 05, 2004

時々見かける日本 in America

 日本から来た、というと すごいわね!日本に行ってみたいんだよ!と言われる事は決して少なくない。よくあるリップサービスだろうと思っていたが、そうでもないらしい。日本の文化は多少曲がって伝わっていたりするにせよ、他のアジアの国に比べて多く伝わっている気がするし、仲のいいアメリカ人の友達も,アメリカ人にとって他のアジアの国に比べて日本は近い存在な気がする、と言っていた。ちなみにこの友達と話した時は、テレビのクイズ番組で日本のお寺についての出題があったのだけど、それは日本人の僕でも知らない寺でした・・・。そして、何ともなく答えるそこら辺にいそうなおっさん回答者・・・。
 
 アメリカにいて、意外なところで日本と遭遇する事がある。さっきのクイズ番組なんかもそうだし、ビジネスの教科書ではまだ日本がよく出てくるし。これ、結構嬉しい。ウォルマート(西友を買収した米最大のスーパー)なんかに行けば、 ”Yu-Gi-Oh!” 、"Kenshin"と書いたキャラクターものの洗面道具が売ってたりする。(ちなみに、”Yu-Gi-Oh!” =遊戯王、"Kenshin"=るろうに剣心。アニメはアメリカンキッズのハートわし掴みね)
 さらに。この間面白かったのがこれ。テレビシリーズのFriendsで、男性レギュラー(名前忘れた)が神妙な顔をして、帰宅した女性に「〜〜だね。今、君が帰ってくる、って僕にはわかっていたよ」と背中を向けながら言う。彼曰く、実は自分は日本に伝わるすごい力をマスターしていたから、それでわかるんだ、との事。そのすごい力が、なぜか”うなぎ”の力となっていたり。(これ、勘違いして制作されているわけではなくて、Una-gi-!と言っていた彼が悟りの境地?に適当な日本語をあててイタズラしまくる、という設定。彼がしつこくウナーギー!と言ってイタズラするので、レイチェルが ”ふん、スパイシーサーモンロール!”(アメリカ生まれの寿司=どうせ本物じゃない癖に!的ニュアンス)と言い返して仕返しすのが面白かった)
 
 で、今日の発見。今日のはちょっとびっくりだ。友達とスーパーで食料品の買い物をしていて、レジに行こうと思った時。友達が雑誌セクションで「あ、ジャンプだー」と言う。確かにこっちの日本人向けに週刊少年ジャンプが売られている事は知っていたが、ローカルのスーパーに日本語のマンガがあるわけない。同名の雑誌かな、なんて思っていると、そこにはJumpと題されたコミックブックがあった。日本のジャンプとは形こそ違えど、中身はドラゴンボール、ワンピースなど、間違いなく日本のジャンプなのだ!台詞が全て英語になっている。まさか、単行本以外にこういう形で売られていたとは・・・あまりに日本で当たり前に見かけるマンガが、アメリカでも当然のように英語に訳されて書棚で売られていたのだ。日本のアニメの人気ぶりが窺えるびっくりした瞬間だった。

 ちなみにアニメ、マンガは世界で大人気だが、アジア人の友達は日本のおもちゃやぬいぐるみを好きな人も多い。精巧にできていて、しかも日本にしかない”かわいさ”につい買ってしまうそうだ。僕が日本にいたときは、「アニメよりもっとマシなものを輸出できないものか」といった発言にうなずいていた僕ですが、今ではすっかりアニメ輸出肯定派。だって日本のものをこっちで見ると嬉しいんだもん。それに、何もアニメを表層的にとらえずに、何が成功しているのかを研究してみたらいいんだと思う。要因が抽出できれば他の物にも応用できるかもしれないし。アニメ以外にもさっきのおもちゃ、映画など、日本は他の建築などよりもエンターテイメントにおいて優れている気がする。そこから日本の強みを探り直すのも一つの手かと思う。

one more week to go, and I will be free.

口の端が切れた。栄養不足だ。

休みの始めに買ったチケットで初めてジムに行った。
体はずいぶんヤワになっていたけど、運動後は爽やかだ。

勉強した。でも追いついていない。やり方がわるいのだろう。

クラスで記憶が飛んだ。ジムのつけだ。

浮き沈みの激しい日々。今日は早く寝る事にする。



Wednesday, August 04, 2004

またパソコンの前で

アルバムリーフの新曲"window"がいい。
友達がチャットしてるときに送ってくれた。なんだか、音楽というよりぐっとくる効果音のシークエンスといった感じ(?)

友達が9月に結婚する。新学期が始まったばかりで行けないからビデオレターでも撮って送ろうかなぁ、と思った。

Monday, August 02, 2004

歩く。 歩く、 歩く。

 乗り継ぎのバスに乗れなかった。乗れなかったというより、次のバスが一時間後だといわれ、ダウンタウンから家まで、仕方なく歩いて帰る事にした。学校が終わって夜九時過ぎ、暗くなってきて危ないかなと一瞬迷ったが、一時間何して待っていろというのだ。歩きはやむを得ない選択だった。慣れないダウンタウンの真ん中から、学期中友達と毎週通っていたバーがある通りを歩く。あのシンプルなピザでも食いながら帰ろうかと思ったら、店がやっていない。メインストリートに出る。今日は散々だな、と思いながらビーチサンダルを引き摺って歩いていた。こんなに悪い事やついていないことが重なったのも久しぶりだった。昨日までの週末は勉強メインで過ごしていたのに、ついさっき受けたテストは散々だった。勉強しにここに来てるのに、何やってんだ?と思いながら歩いていた。バスには乗れないし、こんな日に限ってビーサンだし。多分首を垂れながら歩いていたと思う。橋を渡っている途中、バークロールの後、酔っ払っていい気分になりながらみんなで友達の家まで歩いた事を思い出した。 
 
 メインストリートは、きっとどこの街でもそうだろうけど、何かと町の中心だ。この通り沿いは一応繁華街という事になっていて、メインストリートから一本道を離れれば住宅地になっている。ここのメインストリートは日本で言ったら、国道より一つ下のレベルくらいだろうか。民家や、ファーストフードショップ、ガソリンスタンドなんかがごちゃ混ぜに並んでいる。その通り沿いにてくてく歩く。時折すれ違う地元の人に緊張した。この通りの西側はゲットーで、あまりいい噂は聞かないから、自然とローカルの身なりの汚い人には身構えてしまう。
 
 しばらく歩いていると、時折珍しい建物や、見たことの無い風景を見つけて、へぇ、と目を奪われた。夏の通学路だから、何度も何度も通っているはずなのに。きっといつも乗り物に乗っていて見落としていたんだろう。こんな小さな発見が好きだ。 
 
 いつもはこの街をあまり好きではない。活気がないし、あらゆる建物が古びている。古い建物が多い、というといいイメージを持つが、この街の建物はまるで霜降りジーンズのようだ。古いけど、かっこよくはない。だから今見たって全然うれしくないというやつ。外から見ても明らかに傾いているとわかる家がある。壁のペンキにはひびが入っているし、この街に来た当初は、どうやらとんでもない街に来てしまった、と思ったものだ。貧しい地域は犯罪の温床であることが多い。
 
 家の前のベランダや道でゆったりしている人を見かける。コインランドリーは人でにぎわっていた。建物の中から黒人の女性が大声で喋っている声が聞こえてきた。崩れそうな民家が、いつもと違って少しだけよく見えた。今夜の気温は少し暖かくて、なんだか優しかった。鍵をじゃらじゃら、口笛を吹いてみたりした。一つ一つの家にストーリーがあるんだろうな、と思った。へこんだ気持ちは依然持っていたけど、歩いていることがだんだん楽しくなってきた。あの通りの奥に見えるフェンスの向こうは何があるんだろう、と思うとつい足をのばしてみたくなった。小さい頃探検に行ったときみたいなわくわくだ。
 
 ダンキンドーナツの看板が見えてて、あ、そろそろ家だ、と思ったら少し残念な気がした。もう少し歩いていてもいいなぁ、なんて思って歩いていると車の派手な音がした。そっちに目をやると、車の助手席に乗っていた女の子が手を振ってきた。僕も振りかえした。車は駐車場から出てきて、僕を追い越した。その子はまた笑顔でさらに陽気に手を振ってきた。ちょっとトンでるのかな、とも思ったけど、嬉しかった。
 メインストリートを折れて家に近づいて歩いているときは、すっかり気分がよくなっていた。何やら久しぶりの満足感だ。最近は勉強しても板につかないし、かといって音楽を聞いても、何をしてもどこか晴れない空みたいな気分だった。きっと最近の僕には、こうやって、自分の時間を取り戻す事が欠けていたのかもしれないな、と思った。

Sunday, August 01, 2004

日曜の午後、遅いランチ

 昼飯にパスタをゆでた。
 最近買い物に行くとけっこう楽しいのがパスタ売り場で、Barillaというメーカーのパスタを気に入って買っているのだけど、このメーカーはとにかく種類を多く出している。種類というか、形のバリエーションが異様に多い。何種類くらいあるんだろう。今まで買って食べてみたのが5、6種類くらいで、売り場には試していない面白い形のパスタがまだまだ一杯。きっと15種類以上はあるんじゃないかな。イタリアではBarillaのパスタに番号がふってあると聞いた。買い物中にイタリア人の友達が「barillaの何番とって」って番号でパスタを指定してきた。ちなみにその子とラーメンを食べたとき、まるでスパゲティを食べる時と同じにくるくるフォークで巻いて、スープをしっかり切って食べていた。思わず笑ってしまった。あー本当にイタリア人なんだな〜なんて思った。
 
 で、今日はMini PenneとRotiniというのを混ぜてゆでてみた。こないだ買い溜めした分だ。どうもスパゲッティに慣れている僕には麺状じゃないパスタが面白い。こっちに来て、本当にスパゲティ以外の麺を日常的に食べるんだ、と思ったものだ。(そんなに貧しい食環境で育ってないです、関心が薄かっただけ)
 ゆであがったパスタを皿にあけ、ソースをかけてみる。なんとか見栄えはいい。 食べてみる。・・・食べにくい。スパゲッティと違って、一度にたくさんの量を取れないからなんか”ちまちま”食べている感じなのだ。 アメリカに来てから確実に僕の食事スタイルは変わりつつある。やけに塩味と甘い味を欲するようになってきているし、早食いになった。がっついているのだ。そばなんか本当に食べるのが早くなったし、ラーメンはもう少し噛めばよかった、と食べ終わってからと思う。まるで動物だな。なんというか、本能的というか、衝動にかられる事が多くなった気がする。聴く音楽も多少日本にいた時より変わったし。
 
 話は戻って。遅い昼飯を”ちまちま”食べながら、こういうパスタはヨーロッパ人に受けそうだなと思った。彼らは食事中によく喋る。まるで食事と食事でないときの区切りなんか無いように話している。だから当然食べるのは遅いし、少量ずつ取って口に運んで、喋っての繰り返し。口に頬張ってもぐもぐ噛んでいるイメージがない。でかい図体してちょびちょび食べていくのは、ちょっとかわいいけど。ひとくちサイズのパスタは彼らにとって自然な大きさなのかもしれないな、と思った。それがたくさんの小さなパスタが開発された一つの理由だったりして。
 どっちにしろ、僕に取っては今日みたいに割とぱっと食べて済ませてしまう時には小さすぎるけど。
 

Are you the only one ? ...Am I ?

 etic.のホームページを最近またよく見ている。
2,3年前このホームページを漫画喫茶や学校の研究室で見ていた時は(家にネットが無かった・・・悲しき一人暮らし)ただただ募集企業が画面に並んでいてそれを何も分からず、好きか嫌いかですらも判断できずに見ていた気がする。そうすると、情報ってただの重荷でしかないんだね、見なきゃいけない、こなさなきゃいけないものとして。
 
 それはいいとして、最近は企業のプロフィールを見ていると、いいなー、こんな仕事してみたいな、こんな企業が来てるんだ、とか、ここは・・・いいや、とかよくも悪くも自分の判断基準がある。自分の行きたい方向性はまだしっかりこの仕事、と表現できるまでにはなっていないけど、ここ2・3日で急にはっきりしてきた。etic.に集まる企業は魅力を感じるところが多い。
 
 キャリアフォーラムに来る企業でなんかかっこいい、受かったらすごいなぁ、なんて企業はある。それってやっぱブランド指向だったんだな、と実感。だってその会社の仕事、思想なんかを知らずにイメージで判断していたんだから。・・・でもそしたらボストン行ってどこ受けよう??今年も観光か?

 そういえば去年の僕のスーツはどうやら伝説になってしまった。今でもたまに、いやー、「一平君の青いジャケットは衝撃的だった。あれは忘れられないね〜〜」なんて言われる。確かに、みんなの目がまん丸くなったのを覚えている。全米から集まった日本人学生がみなビシッとリクルートスーツに身を包んでいる中、僕はルームメイトに貸してもらった灰色のジャケットに白スラックス。(学校の人には”青く”見えたらしい)借りた時は、スーツがあればいいでしょ、それにちょっと目立っていいかも、とか訳の分からない事を考えていたけど、ジョブフェア開催の朝、会場に絶える事なくぞくぞくと流れ込んでいく大量の日本人を見ると、思わず僕は回れ右をしたのでした。みんなカラスみたいに真っ黒だったんだもん。いや、そりゃ灰色のジャケットに白スラックスは目立つわな、いやでも。

 異様な光景だったな。アメリカなのに、日本で見るのとほっとんど変わらないリクルートスーツ姿でみんな歩いてる。アメリカだからもうちょい服装に違いがあるのかなぁ、なんて思っていたけど、とんだ勘違いで、そこは完全に日本でした。その中で僕だけバカンスの親父みたいな格好だったしね。ほんと、回れ右してその足でスーツと革靴を買いに行きましたよー。その後は僕も一羽のカラスになって安心していたわけだけど。去年が下見でホントよかった。
 

 ・・・まぁ、とりあえず時間のある夏の間にしっかり考えを落とし込んで、自分ならではの価値を出せる方向性に持って行きたい。ってかなり理想だけどね、でもそれが出来そうな気がしてきている。彼女いない暦ならぬ、やりたいこと無い暦長かった僕にとっては、ちょっと事件だね。これは進歩としよう。